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242720 B無題Name名無し25/03/12(水)10:56:50 IP:115.125.*(ucom.ne.jp)No.2608756そうだねx1 25年8月頃消えます
自民党は統一教会
1無題Name名無し 25/03/12(水)13:10:20 IP:106.131.*(au-net.ne.jp)No.2608817+
公明党は創価学会
2無題Name名無し 25/03/12(水)13:14:04 IP:115.125.*(ucom.ne.jp)No.2608818+
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498344 B
カルト宗教 統一教会とつながっている政治家
3無題Name名無し 25/03/18(火)01:57:35 IP:49.96.*(spmode.ne.jp)No.2610346+
「敵性外国人法」でギャング追放
米・ルビオ国務長官はギャング組織のメンバー数百人の国外追放を開始したと明らかにしました。第二次世界大戦中に日系アメリカ人を強制するために使われた法律を適用しました。

日本の政治家は移民を増やし何をしているのでしょうか。
4無題Name名無し 25/03/20(木)13:32:50 IP:49.96.*(spmode.ne.jp)No.2611194+
地下鉄サリン事件から30年 地下鉄・霞ヶ浦駅で追悼式

14人が死亡しおよそ6300人が被害に遭ったオウム真理教による「地下鉄サリン事件」から20日で30年です。東京の地下鉄・霞ヶ浦では遺族などが犠牲者を追悼しました。

30年前・1995年3月20日、当時のオウム真理教の信者が都内を走る地下鉄の3つの路線でサリンをまき、
14人が死亡しおよそ6300人が被害に遭いました。

東京・千代田区の霞ヶ浦では、発生時間とほぼ同じ午前8時ごろ、駅職員が黙祷をささげました。
構内に設けられた献花台には遺族や被害者、それに利用客などが訪れ、花を沿えて手を合わせ、犠牲者をしのびました。
霞ヶ浦の助役夫の一正さんを亡くした高橋シズエさんも献花に訪れ「ここに来ると当日のことを鮮明に思い出して悲しみがこみ上げてきます。30年前とはすっかり変わり、フエイクニュースなどが確かめられずに拡散してしまう危険があります。若い人は真実を突き止め、”カルト”に傾倒しないよう気をつけてほしいいです」と話していました。
5無題Name名無し 25/03/20(木)13:46:50 IP:49.96.*(spmode.ne.jp)No.2611199+
”次の世代に考える材料の提供を”
オウム真理教による一連の事件を当時から取材してきたジャーナリストの江川さんも20日午前、霞ヶ浦の献花台を訪れ、犠牲者を追悼しました。「30年もたってしまったのかという思いだ。どうして事件が起きたのか、どうして信者たちはオウム真理教に入信していったのか、2度と起きないといえるのかについて、次の世代に対して考える材料を提供しないといけない。カルトは被害者も加害者も不幸にし、誰も幸せにしなかったことを伝え、次の世代が同じ被害を受けないようにすることが一番だと思う」と話していました。

一方、3つの後継団体は今も活動を続け「無差別大量殺人行為に及ぶ危険性がある」として団体規制法に基づき観察処分の対象とされ、公安調査庁が現在も警戒しています。
事件を知らない世代が増えるなか、被害者や遺族の団体は国に対し、未曾有のテロを防げなかった事件の教訓を伝え続けることや、後継団体の監視を求めています。
6無題Name名無し 25/03/20(木)14:03:30 IP:49.96.*(spmode.ne.jp)No.2611204+
【被害に遭った女性 "今も影響は続いている”】

都内に住む森瀬郁乃さんは30年前、22歳の時に通勤時地下鉄日比谷線の小伝馬町駅で被害に遭いました。20日は霞ヶ浦駅と被害に遭った小伝馬町駅を訪れ、それぞれ献花を行いました。
小伝馬町駅はもっとも多くの負傷者が出た駅でした。液体条のサリンでぬれたホームを歩いて地上の出口に出たところ、行きが苦しくなって病院に運ばれ「サリン中毒」と診断され入院しました。
事件のおよそ5年後からは、ひどい頭痛や平衡感覚を失うほどのめまいなど、サリン中毒の後遺症に悩まされるようになり、正社員としてフルで働くことも難しくなりました。さらに事件から15年後の2010年ごろからは、急に手の指の骨が痛み始め、リューマチなど疑ったものの違うと診断され、サリン後遺症かわからず誰にも相談できず、悩んでいたといいます。
次第に痛みが増して自分で洋服のボタンを留めたり、字を書いたりすることもできなくなり、長年、サリンの被害の診断あたってきた医師に相談したところ、サリンの後遺症の可能性があると診断されているということです。
7無題Name名無し 25/03/20(木)14:14:25 IP:49.96.*(spmode.ne.jp)No.2611206+
19日も東京・中央区の病院で診察を受け、医師に対し「処方された薬で指の痛みは和らいだもののお菓子の袋などを開けることが今も難しく、影響は続いている」などと相談していました。
霞ヶ浦駅での献花の後、森瀬さんは「多くの花が供えられていて『もしかしたら私も献花される側になっていたのかもしれない』と怖い思いがしました。一方で、これまでこうした場を提供してくださった駅の関係者の方々などにはとても感謝しています」と話していました。
また「後遺症のことを考えるとこれからも不安でいっぱいです。被害者を支援してきたNPO法人も今月末で解散することになり、自分で何とかしていかなければならないと感じています。国や関係機関が被害者と医療機関をつなぎ、相談に応じてもらえるような体制をつくっていってほしい」と話していました。
8無題Name名無し 25/03/20(木)14:27:08 IP:49.96.*(spmode.ne.jp)No.2611208+
【解散する支援団体 "これからも交流できる機会を作りたい"】

地下鉄サリン事件の被害者支援に当たってきたNPO法人「リカバリー・サポート・センター」のメンバーも、被害者たちにと一緒に霞ヶ浦駅を訪れ、犠牲者を慎みました。

リカバリー・サポート・センターは無料の健康診断を続けるなど、サリンの後遺症に悩む人の心や体のケアに当たってきましたが、受診者が減ったことや、ボランティアの高齢化などを、理由に、3月末で解散することになっています。ことしが最後の献花となり、木村理事長は被害者たちに「新しい人生が来ますので、健康を取り戻して下さい。お疲れさまでした」とあいさつをしました。
木村理事長は「被害者の方にとっては決して楽ではなかったと思いますが、痛みに寄りそって活動を続けられた30年だったと思います。後遺症に悩んでいる人も多く、解散はしますが、これからも被害者たちが交流できる機会を作っていきたいです」と話していました。
9無題Name名無し 25/03/20(木)14:40:58 IP:49.96.*(spmode.ne.jp)No.2611209+
【妹を亡くした男性 "若い人たち 教訓学び生かして”】

事件で妹がなくなった浅川さんは孫たちとともに献花のため霞ヶ浦駅を訪れました。
浅川さんの妹幸子さんは31歳の時に地下鉄丸ノ内線の車内で事件に巻き込まれ、25年間、寝たきりの生活を続けた末,
5年前(2020年)にサリン中毒による低酸素で亡くなりました。自宅で長年介護を続けた浅川さんは「妹は何も分からず電車に乗っていて、気分が悪くなって倒れた時、すごく怖かっただろうと改めて思いました。安らかに眠って、みんなを温かく見守ってほしいと声をかけたいです」と話していました。

 そして「若い子たちにはカルトやマインドコントロールとは何なのかを学んで、人生に生かしてほしいです。一緒に来た5歳の孫も、『どうしてここに来るの』と聞くときが来ると思うので、そのときにカルトのことなどをしっかり学んでほしい」と話しいていました。
10無題Name名無し 25/03/27(木)01:41:44 IP:49.98.*(spmode.ne.jp)No.2613054+
「強く抗告していくため」
旧統一教会が公式HPからお詫び文言を削除

理由について、教団側は「東京地裁から出された決定文があまりにもひどく、お詫びを申し上げるより改めて強く抗告していくために、お詫びという言葉を外しました」とコメントしています。

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